2022年12月12日(月) 【2022年10月の旅 岐阜の旅@】 ?清流と名水の城下町、郡上おどりのふるさと 職人町、鍛冶屋町といった古い町名にひかれて足を向けるとそこには古い家並みとその軒先をほとばしるように流れる水路。 辻のつきあたりには城下の防禦のための寺が配置され、13もの寺が狭い町並みの中にを連ねる奥美濃の小京都です。 国の重要伝統的建造物群の選定を受けた古い家並みに沿って城下を巡れば?そこここに清らかな水が育む郡上八幡の暮らしと文化と人に出会えます。 職人町、鍛冶屋町は江戸時代は庶民の町として、間口2間の職人の家から大きな商家までズラリ軒を連ねていました。今でも通りのあちこちにそのおもかげを見ることができます。 これらの住まいの形式は京都に似て、間口は狭く奥に深い造りです。観光向けに整備された町並みではありませんから、普段着のままの町の暮らしを垣間見ていただくことになります。 また町割りに沿って通りの両側を流れる水路は、1660年頃に城下町の整備をすすめた城主の遠藤常友が防火の目的のため4年の歳月をかけて築造したものです。 家々が密集し、2度の大火に見舞われた郡上八幡は火事にはとても神経質でした。今でも家々の軒先に下がる消化用バケツはいわばその伝統のなごりともいえます。 1692年の城下町家帳によると職人町と鍛冶屋町には、50軒の家々が並んでいました。うちその名のとおり鍛冶屋町が最も多く8軒。医師が5軒、桶屋が3軒、馬医師2軒のほか、大工、畳屋、塗師屋、仕立て屋、紺屋、酒屋など実にさまざまな職人や商人が住んでいたことが記されています。当時の人々の生活ぶりがうかがえる興味深い記録です。 12/12^00:14 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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