♨全国Hの旅♨

2022年12月14日(水)
【2022年10月の旅 岐阜の旅B】
2022年10月の旅 岐阜の旅B

?街並みも人情もふくめて日本大正村

ゆっくりと歩くのが似合う古町。この町のレトロな趣を想い出とともにカタチに。

大正時代にタイムスリップしたような懐かしい町並みをゆったりと散策。今も昔も変わらない様々な「通り」の散策を楽しむことができます。

いまもなお大正時代のたたずまいを色濃く残す大正路地。土地の素封家の年貢米を納めた米蔵と、江戸時代から続く呉服屋の蔵にはさまれた路地で、蔵の白と黒のコントラストが鮮やかです。黒い羽目板は、桟をはずすと、防火壁の役目を果たします。

元役場を利用した施設が資料館兼休憩所に。明智町は、明治から大正にかけて、生糸の生産地として栄えました。明治39年、町庁舎として建てられたのがこの建物。瓦葺き寄せ棟造り2階建ての木造洋館は、当時としては超モダンともいえるものでした。石門に街灯がつけられ、正面入り口には重厚な引戸。内部は一部ドア形式。

大正モダンなイメージをした洋風建築で初代日本大正村村長高峰美枝子氏、同村議会議長春日野清隆氏の記念館、大正ロマン館。大正時代のヨーロッパの家具やオルゴール、また洋画の父といわれるこの地出身の山本芳翠の油絵も展示され、時代にちなんだ企画展が催されています。

300年を超える歴史を持つ旧三宅家。記録によれば、旗本明智遠山家に仕えた四代伊賢が馬木村に移住し、農業に従事。その後、1688年五代与次郎重正によって母屋が普請されました。度々の増改築がほどこされました。

当時の生活を感じることができる大正村資料館・大正の館。明治末の建築で、この地方の城にも匹敵する町のシンボル「銀行蔵」と、南隣の「大正の館」を含む一郭がその中心です。

中馬街道の一部で、生糸生産のさかんな頃は、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んでいました。誰が名付けたか「うかれ横丁」。昔懐かしい面影を残す通りです。通りには道路を跨ぐ渡り廊下のある家もあります。




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