♨全国Hの旅♨

2023年11月23日(木)
【2023年10月の旅_山口の旅 part.4】
?萩市の小学校に通ってみたかったなあ〜。おそらく、最初のうちはなんで吉田松陰の訓えを唱和したり学んだりしてるかわかってなかったと思うけど、学年が上がるにつれて、偉大なる先輩のすごさがわかってくんだろうなあ。

町並みを歩いていて挨拶をしてくれる小学生の多いこと。素晴らしい、防犯にもなるしね。松陰が松下村塾を開いた頃から教育には熱心なのは変わってないのかな?勝手にそう思ってるけど…。

松陰は伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して江戸伝馬町の牢に捕らえられ、ついでに萩に送られ野山獄に入れられました。翌年に釈放となりましたが、父杉百合之助預けとなり、この実家である杉家に帰され謹慎生活を送り、読書と著述に専念した。松陰は家族からの薦めもあり幽囚室で孟子や武教全書などを講じました。次第に多くの若者が参加するようになった。

松下村塾とは幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。1842年に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、後に松陰の外叔父にあたる久保五郎左衛門が継承し、師弟の教育にあたりました。そして1857年、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになりました。

木造瓦葺き平屋建ての50uほどの小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分からなっています。

松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。

当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから「松下村塾」という名がつけられました。松陰は、「学は人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。」と『松下村塾記』に記し、村名を冠した塾名に誇りと責任を感じ、志ある人材を育てようとしました。








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