2017年3月24日(金) 【2017年3月の旅 静岡の旅B】 「天下盗り物語」 後に天下人となった徳川家康。その若き29〜45才の頃、今川、武田、織田など戦国の世に名を上げた、周辺諸国の名家、強大な戦国大名に囲まれ、戦い生き延びて、そして、天下盗りの夢をつかんだ場所が、浜松城。 生国の岡崎を離れ、駿府の今川家で送った人質生活、青年期に織田家と同盟を結び、岡崎から西遠までを支配下におさめ、戦国大名として着実に力をつけていった。耐え難きを耐え、力を蓄え、徳川300年の礎となった17年間を浜松城時代のエピソードを史跡とともに紹介されている。 家康の生涯最大の敗戦とも言えるのが、三方ヶ原の合戦。南下してきた武田軍2万7千に対し徳川は1万2千。天下に名のとどろく武田騎馬軍団に多勢に無勢。無惨に敗走することに。 この時多くの部下を失い、命からがら城に逃げかえってきた家康は、その憔悴した姿を像として残し、生涯この敗戦を忘れぬようにしたと言われている。 「出世城と呼ばれた浜松城」 家康が天下統一を果たし、駿府に入城した後、浜松城は主に家康ゆかりの譜代大名が城主となった。概ね五万石前後で、浜松藩政三百年の間に、再任を含め、25代の城主が誕生し、老中に5人、大阪城代2人、京都所司代2人、寺社奉行に4人(兼任含む)が登用され、「はま松は、出世城なり、初松魚」(松島十湖)の句も残されている。 特に有名なのが天保の改革で知られる水野忠邦。唐津藩時代に昇格のため、願い出て浜松藩主となり、頭角をあらわし、後に老中になったと言われている。 歩いて感じる浜松、家康の散歩道。約10km、大人の足で約二時間。直虎ゆかりの地めぐりとあわせて、戦国時代のかすかな息吹を感じてみませんか? 3/24^04:32 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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