♨全国Hの旅♨

2017年9月26日(火)
【2017年7月の旅 広島の旅@】
2017年7月の旅 広島の旅@

広島市は中国山脈を背に瀬戸内海を臨む城下町だった。東京や名古屋、大阪などの都市が激しい爆撃を受ける中、人口40万人の広島だけはなぜかまだ大きな被害がなかった。

昭和20年6月のこの時期、南方の戦地や沖縄では日本軍の玉砕が続いた。日本の敗戦は色濃くなり、広島でも食糧難で米の配給が途絶えていた。一方、戦局で優位に立ったアメリカではその数年前から極秘の計画が進められていた。科学者による原子爆弾の開発である。

7月16日アメリカ、ニューメキシコ州の砂漠で世界初の原子爆弾の実験が行われた。実験は成功。ただちにトルーマン大頭領に報告された。

7月26日アメリカ、イギリス、中国の首脳による日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言が発表された。このポツダム宣言に対し、降伏せず、これを黙殺した。アメリカのトルーマン大頭領は戦争を有利に終結させるため、原爆投下を実行にうつす命令を下した。

8月6日、午前1時45分、マリアナ諸島にあるアメリカ軍基地から爆撃機が発進した。爆撃機の名はエノラゲイ。世界で初めて人類に使用される原子爆弾が積まれていた。

広島上空は快晴。気象観測機からエノラゲイ号に報告が入った。この時、広島への原爆投下が決まった。8時14分、原子爆弾を積んだエノラゲイ号は広島上空に達した。



昭和20年8月6日午前8時15分広島に原子爆弾が投下された。熱線による高熱が40万市民の家を焼き付くし、爆発によって巻き上げられた泥やちり、すすが黒い雲となって空を覆った。熱線をあびてやけどを負い、爆風で負傷した何万人もの人々が苦しみの声をあげた。

原子爆弾が撒き散らした放射性物質はちりとともに舞い上がり雲を作って、放射能の雨を降らせた。原子爆弾は街を破壊しただけではなかった。同時に放射線を空気中に撒き散らした。放射線は健康な人々の体内に入り込み、細胞を破壊していった。この年の末までに十数万人もの人々が死亡した。

8月9日2発目の原子爆弾が長崎市に投下された。爆発によって27万人の長崎市民のうち、7万人以上が死傷した。8月15日、日本は無条件降伏し、終戦をむかえた。



なぜこんなことになってしまったのだろうか?降伏を早く受け入れていれば原爆投下という悲惨な事態は避けられたのではないか?広島の天気が悪ければ、他の地に投下されたのかもしれない…。

二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。だからこそ、戦争の恐ろしさ、悲惨さを忘れてはいけない。戦争を体験した人達が少なくなってきているけれど伝え続けていかなければならない。

70年は草木が生えることはないと言われていた広島が今やカープ一色に染まっている。広島市民の熱い想いがあったからこそ現在があるに違いない。




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