2017年10月27日(金) 【2017年8月の旅 千葉の旅E】 NHK大河ドラマ「女城主 直虎」の視聴率の低さが話題になっちゃってるけど、ここもまた後のNHKの大河ドラマの舞台になるかも(笑)初めて聞く地名なんだけどねえ(笑) 「大多喜城」 中世の大多喜は、史料の中に小田喜と見られますので、大多喜城もその頃は小田喜の城と呼ばれていたようです。 16世紀の前半代に武田氏が入城したとも言われますが、天文期(1532〜1555)に安房の里見氏の重臣であった正木氏が入り、以後4代にわたり、上総正木宗家の居城として発展します。 その後、1590年に北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされると、徳川家康が江戸城に入り、小田喜城を徳川四天王の一人とうたわれた家臣の本多忠勝に与えて安房の里見氏の勢力をおさえようとしました。 城主は本多氏のあと、阿部・青山・稲垣氏へと引き継がれ、1703年に松平氏が入城します。以後、松平氏は9代続き明治の廃藩置県を迎えました。 本多忠勝も名軍師とうたわれた一人だよねえ。彼がいなければ徳川家康の天下はなかったかもだよね。大河ドラマにしたいという街の気持ち、わからないでもないなあ(笑) 10/27^00:00 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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