♨全国Hの旅♨

2017年11月22日(水)
【2017年10月の旅 沖縄の旅@】
2017年10月の旅 沖縄の旅@

やっと念願が叶いました(笑)ついに上陸しました(笑)47都道府県の中で唯一まだ訪れたことがなかった沖縄県にやっと来ることができました(笑)10月だというのに真夏のような暑さの沖縄。やっぱり別世界だね(笑)

今回一泊二日という強行スケジュール。行きたいところをピックアップして、いかに効率よくまわるかがポイントだよね。すべてが予定通りにいけたらいいんだけど、さてどうなることやら(笑)

まずは最初に訪れたのは本島南部にある「ひめゆり平和祈年資料館」へ。「ひめゆり」の由来は植物の花のひめゆりとは関係がないとのこと。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校は、それぞれに校友会誌があり、一校女は『おとひめ』、師範は『白百合』と名づけられていた。両校が併置されることによって、校友会誌もひとつになり、両方の名前の一部を合わせて『姫百合』となり、ひらがなで「ひめゆり」を使うようになったのは戦後のことだそうです。

広島や長崎に原爆が投下されたこともそうだけど、沖縄の地が激しい戦場になったことも忘れちゃいけないことだと思う。本土へのアメリカ軍の侵攻を防ぐために言葉が悪いかもしれないけど、沖縄という地を戦場にし捨てるのを選んだのだ。

戦争体験者が年々少なくなっていく中、若い世代に戦争の実態を知ってもらうためにも、最後に財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会の言葉を最後に載せておきます。

米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は、那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配置されました。3月26日、米軍は慶良間列島に進攻、4月1日には沖縄本島中部西海岸に上陸。米軍の南下に従い日本軍の死傷者が激増し、学徒たちは後送されてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る間もなくなっていきます。

5月下旬米軍が迫る中、学徒たちは日本軍とともに陸軍病院を出て、本島南端部に向かいました。移動先の安静もつかの間、激しい砲爆撃の続く中で6月18日を迎えます。学徒たちは突然の「解散命令」に絶望し、米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そしてある者は自らの手榴弾で命を失いました。陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、在地部隊その他で91人が亡くなりました。

米軍は沖縄戦を日本本土攻略の拠点を確保する最重要作戦と位置づけ、物量のある限りを使い、対する日本軍は米軍の日本本土上陸を一日でも遅らせるために壕に潜んでの防衛・持久作戦をとりました。沖縄を守備するため、軍は県民の根こそぎ動員を企てると同時に、学徒隊を編成して生徒たちの戦場動員を強行しました。持久作戦、根こそぎ動員は、12万人余にのぼる沖縄住民の犠牲をうみました。

あれから40年以上たちましたが、戦場の惨状は、私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません。

戦場を知らない世代が人口の過半数を超え、未だ紛争の絶えない国内・国際情勢を思うにつけ、私たちは一人ひとりの体験した戦争の恐ろしさを語り継いでいく必要があると痛感せざるをえません。

平和であることの大切さを訴え続けることこそ亡くなった学友・教師の鎮魂と信じ、私たちはこの地にひめゆり平和祈年資料館を建設いたしました。当館の設立にあたっては、県内外の多くの方々のご厚意とご協力を賜りました。深く感謝いたします。

修学旅行かな?学生の子達がたくさん訪れてたけど、ほとんど展示してあるものをスルーしてたけど、アメリカや北朝鮮がもし戦争を起こしたりしたら、他人事じゃないんだよ!




11/22^00:00


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