♨全国Hの旅♨

2019年2月22日(金)
【2019年2月の旅 山口の旅A】
2019年2月の旅 山口の旅A

平成30年に明治維新から150年の節目を迎えました。幕末・維新のまち下関。続いては城下町長府へ。大化の改新の後、長門国の国府が置かれたことから「長府」と呼ばれるようになったと『日本書紀』が伝える町。江戸時代には、長府毛利藩5万石の城下町として栄え、幕末には維新回転の舞台となった。

そんな長府エリアの片隅に位置にあるのが、歴史の興亡を秘め、静かにたたずむ名刹「功山寺」。二重門の山門や、わが国最古の禅宗様建築の仏殿(国宝)が1327年創建の由緒を語ります。高杉晋作が挙兵した寺としても知られ、境内には馬上姿の晋作の銅像も置かれている。

維新回転の挙兵

1864年、長州藩は存亡の危機にあった。7月の禁門の変、8月の馬関戦争惨敗。さらに追い討ちをかけるように、幕府による長州討伐計画が進んでいた。俗論(幕府恭順)派が主導権を握る長州藩はこれを恐れ、三家老切腹、藩主の蟄居謹慎によって幕府に従う姿勢を示したのです。

このとき敢然と立ち上がったのが高杉晋作でした。都から落ちのびていた三条実美ら五卿を前に、わずか80人を率いて挙兵した晋作は、「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と告げ、萩藩新地会所を急襲。後に続いた者たちとクーデターを成功させ、長州を再び討幕へと導きました。このこの功山寺挙兵をきっかけに、維新が大きく動きます。「動けば雷電の如く、発すれば風
雨の如し」。まさに日本の歴史を変えた瞬間でした。

「功山寺」の一角にある万骨塔は、明治維新を中心とした国事に命を捧げた名も無き人々の霊を供養するため、桂弥一が建てたもの。塚には「一将功成って万骨枯る」の碑と全国から寄せられた石が備えられている。




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