♨全国Hの旅♨

2020年2月19日(水)
【2020年1月の旅 高知の旅@】
2020年1月の旅 高知の旅@

車や鉄道もなければ飛行機もない。スマホやパソコンもなければ電話もない。移動手段としてあるとすれば船くらい。全国各地を巡ろうと思えば、何分何時間の世界ではない。何日、何十日とかかるのが当たり前。ただひたすら歩いては野宿などして、また歩く。昔の人々はそれが当たり前だと思ってるから大変なんて思わなかっただろうなぁ。飛行機や新幹線などで数時間移動というだけでも疲れるのにね。

そんな時代に自らの国(藩)を出て、新しい世の中を作り出そうとする若者達がいた。人伝に聞いた噂をたよりに会いたいと思う人に会いに行こうとする若者達がいた。ここ高知にも坂本龍馬を中心とする勇士たちがいた。藩の許しを得ずに、国を離れ、二度と家族の待つ国には戻れないという覚悟を持って脱藩した。

幕末の風雲急を告げる1862年春、坂本龍馬は梼原から那須俊平・信吾父子案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩。土佐勤王党、天しゅ組、中勇隊に参画した梼原出身の武士、そして吉村虎太郎、那須信吾、那須俊平、掛橋和泉、中平龍之介、前田繁馬たちは、維新を夢見て決起し、大いなる使命感に燃えながら野越、神根越、化粧坂、そして国境の九十九曲峠、韮ヶ峠への道を幾度となく往来したと言われている。

志士たちの多くは、志半ばにして不遇な最後を遂げたが、彼らの生きざまは、現代人の心を捉えてやまない、「維新の道」は、まさに日本の未来を切り開く希望の道だった。郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する人々の熱い想いによって建立されたのが「維新の門」。

やっと来れたよ(笑)八人の群像があるだけなんだけど、目にしたかったんだよ。高知駅前の龍馬の家からここまで歩いてくるのは大変なのに、ここから山口や鹿児島、京都を目指したんだからすごいよなあ。

ここ梼原は新国立競技場の建築デザインに拘わった隈研吾による建造物が複数ある。町の中に溶け込むように建築された施設はどれも観覧する価値ありだよ(笑)



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