2022年3月9日(水) 【2022年2月の旅 大阪・奈良の旅C】 ?正直、名前を聞いただけでは世界遺産と言われてもピンとこない。ましてや奈良ではなく京都にあるんじゃないのかとか、近所にありそうなお寺とも思えたりもするけど…笑 猿沢の池にうつる興福寺の五重塔を一度は目にしたことありますか?昔から変わることなく続く風景です。 法相宗の大本山である興福寺。その全身である「山階寺」は、669年に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。 そして、672年壬申の乱の後、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移され、その地名をとって「厩坂寺」と名付けられます。さらに710年、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。 その後は、天皇や皇后、また藤原氏の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家・藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。 平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。1595年の検地では「春日社興福寺」合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。 その後、明治政府による神仏分離令や社寺領上知令に伴う廃仏毀釈などにより興福寺は苦境に立たされましたが、寺僧や有縁の人々の努力で復興が進展し、新たな興福寺としてその歴史を刻み続けています。 3/9^00:03 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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