2018年3月11日(日) 【2018年2月の旅 佐賀の旅@】 佐賀県のみなさんにはちょっと失礼になっちゃうけど、九州の中で一番目立たないというか忘れられてしまう地味なイメージ。歴史の教科書にも長崎や鹿児島のように文字が踊ることもない。けれど実は日本初というものが佐賀だったと知ることが…。 その時、日本は佐賀を見ていた。佐賀は世界を見ていた。 「佐賀県立佐賀城本丸歴史館」 佐賀藩は、外様各藩の中で八番目の石高三十五万七千石を誇り、二百六十年もの長きにわたり鍋島家が治めた。佐賀城本丸歴史館は、十代藩主鍋島直正が1838年に再建した本丸御殿を忠実に復元した、日本最大級の木造建築。 本丸御殿の復元としては日本初。「幕末・維新期の佐賀」の歴史をわかりやすく展示している。館内は畳敷きの長い廊下や320畳の大広間が広がり、心地よい和空間を体感できる。 佐賀藩では、長崎からの海外情報をいち早く手に入れ、軍事や医学などの西洋科学技術の導入に努め、幕府に先がけて反射炉を完成させ、鉄製の大砲を鋳造した。アームストロング砲を戊辰戦争では使用。また、蒸気機関の研究を行い、蒸気船凉風丸の建造に成功。さらに医学では、種痘を全国に普及させ、医師の免許制度をつくり、日本における近代西洋医学の基礎を作っていった。 佐賀って、すごいとこなのよ〜(笑)幕末から明治維新にかけては、藩主鍋島直正が藩政改革を成功させ、幕府や諸藩に負けない国力や人材を獲得し、多くの人々から一目おかれる存在に。戊辰戦争で新政府が旧幕府の勢力を一掃し、全国を支配下においたことで、佐賀藩は薩摩藩・長州藩・土佐藩とともに、明治新政府の新しい国家の制度づくりに参画し、多くの分野で活躍する人々を輩出していった。その代表的人物こそが大隈重信である! 3/11^00:00 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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