2020年8月2日(日) 【2020年7月の旅 福岡&大分の旅A】 ?九州7月の旅第二弾も前回同様に歩きますよ。福岡でも大分でも。ゆず太郎マスクをしっかりつけて感染予防しながらね。いつか誰かがマスクについて話しかけてくれることを楽しみに! 匠の技がいきづく商家の町並み。 豊臣秀吉によって上妻郡領主として封じられた筑紫広門が八女地方の中心地?福島に福島城を築城。その後、筑後一国の領主となった田中吉政が、柳河城の支城として福島城を改修し、城の周囲を三重の掘で囲む城下町を整備。このときの町割りや、街路構成、枡形、掘跡の水路が、今も継承されている。 徳川幕府の一国一城令により、福島城は廃絶されたが、町人地はそのまま残り、城下町久留米から黒木を経て豊後へ抜ける豊後別路に沿う在方町として久留米藩の中で重要な位置を占めた。町では市が立ち、茶、和紙をはじめとする周辺地域の産物が売買され、提灯、仏壇などを製造する手工業も成立した。 伝統的工芸品の八女福島仏壇、八女提灯が受け継がれており、その工房?店舗が多いのが八女福島の町並みの特徴で、特に町並みの西半分に多く集中している。 町家の建物は、始めは草葺きの屋根でしたが、江戸時代後期になると、集積した経済力を背景として、防火の備えから「居蔵」と呼ばれる瓦屋根の土蔵造りの町家が徐々に増えていった。 東古松町に残る「房屋」は1838年福島で最初に居蔵造りに改築された。この妻入り居蔵が立ち並ぶ様子が福島の町並みの特徴で、その他に、江戸末期から明治?大正?昭和初期各時代のワラ葺、真壁造り、洋風建築や江戸前期の寺社建築など、旧往還道沿いの紺屋町?宮野町?京町?古松町?矢原町には多様な伝統的な建築物が連続して残っている。 福岡って感じがしないでしょ?甘いお茶として知られる八女茶が有名な「八女福島の町並み」。お盆を前に提灯業界は忙しくなるのかな?本来はもっと賑わってるのかな?ゆずライブ「ゆずのみ」で自分の提灯を作っておけば良かったと思いながら提灯を見て歩くのでした。 ? 8/2^00:03 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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